イゴール・カルカロフ(~1996年)はダームストラング専門学校の校長を務めた魔法使い。第一次魔法戦争では死喰い人としてヴォルデモート卿に仕えた。闇祓いのアラスター・ムーディに捕えられてアズカバン送りとなったが、仲間の死喰い人を密告してウィゼンガモット法廷に引き渡すことで自由の身になった。
カルカロフは後にダームストラングの校長に就任。1994年の三大魔法学校対抗試合に参加し、ダームストラング代表のビクトール・クラムを優勝させるため様々な支援をした。しかし、闇の印が痛み出すと彼は怯えだし、ヴォルデモートが復活したことが分かると彼は逃亡した。カルカロフは1996年に死喰い人によって殺害された。
経歴[]
生い立ち[]
イゴール・カルカロフの生い立ちについては詳しくは分かっていないが、彼の姓を鑑みるに東ヨーロッパ(おそらくブルガリアまたはロシアの可能性が高い)で生まれ、若い頃にダームストラング専門学校に通っていたと考えられる。
第一次魔法戦争[]
カルカロフは若い頃にある時点で死喰い人となった。セブルス・スネイプとは知人同士の関係だった。しかし、彼は最終的に闇祓いアラスター・ムーディによって逮捕されアズカバンへ収容された。
ヴォルデモートの最初の「消滅」の後、カルカロフは証人としてウィゼンガモットに現れ、情状酌量と引き換えに死喰い人のメンバーを証言した。彼はアントニン・ドロポフやエバン・ロジエール、セブルス・スネイプ、トラバースなどの死喰い人を上げたが、その何れも死亡もしくは逮捕されておりスネイプに至っては既に転向していた。彼の証言が役に立たないことが分かり、アズカバンに突き返された。しかし彼は魔法省内部にも自分の仲間がいたことを証言した。これは魔法省が把握してなかった情報であった。結局彼は最終的に釈放された。
戦間期[]
ダームストラング校長[]
カルカロフは、アズカバンから釈放された彼はある時点でダームストラング専門学校の校長に就任した。校長としてのカルカロフは、恐怖に基づく学校運営を採ったため保護者と生徒両方から評判は悪く、学校を忌避する者も現れた。また、学校では闇の魔術に基づいた教育を積極的に奨励した。しかし、これはカルカロフが校長になる以前から行われていたと考えられる。
1994~1995年度にはホグワーツ魔法魔術学校を開場に三大魔法学校対抗試合が久しぶりに開催された。カルカロフは対抗試合の5人いる審査員を務めた。しかし、彼はホグワーツに到着した時から明らかにビクトール・クラムを贔屓していた。
ホグワーツに到着したその日の夜に彼はアラスター・ムーディ(中身はバーティ・クラウチ・ジュニア)と再会した。ムーディに捕まえられたトラウマから彼は避けようとしたが避けられなかった。バーティは死喰い人の裏切り者である彼に良い印象を持っているはずはなかった。
闇の帝王の復活と最期[]
カルカロフは1995年6月24日の第3の課題終了後、突然失踪した。彼は多くの死喰い人を魔法省に売り飛ばしたことからヴォルデモートの復活に怯えていたのだった。彼はセブルス・スネイプの元を訪れ、日に日に自身の闇の印が濃くなっていることを話した。クラウチは例え逃げても直ぐに見つかるだろうと考えていた。
カルカロフはクラウチの予想に反して1年近く逃亡生活を送ることができた。しかし、彼は1996年の初夏、遂に追い詰められ死喰い人によって殺害された。
性格と特徴[]
登場作品[]
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (初登場)
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (映画)
- ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 (言及のみ)
- ハリー・ポッターと謎のプリンス (言及のみ)
- ハリー・ポッターと死の秘宝 (言及のみ)
脚注と参考文献[]