シルバヌス・ケトルバーン教授 (1927年以前~2014年頃)は、ホグワーツ魔法魔術学校で魔法生物飼育学の教授を務めたイギリスの魔法使いである。ケトルバーンは、向こう見ずな性格がもとで、一方の片腕と一方の足の半分以外の手足を失っている。
経歴[]
生い立ち[]
シルバヌス・ケトルバーンは1927年以前に魔法使いと魔女の間に生を受けた。その後、ホグワーツ魔法魔術学校に入学し、ハッフルパフ寮に組分けされた。彼はホグワーツ在学中に魔法生物飼育学で優秀な成績を取った。この出来事は後に魔法生物学者への道の一歩となった。 彼はある時点で12匹のニフラーをペットとして飼った。
ホグワーツ教授として[]
ディペット校長時代[]
1920年代、ケトルバーンは有名な魔法動物学者ニュート・スキャマンダーの本と出会った。そして、ある時点でアーマンド・ディペット校長によってホグワーツ魔法魔術学校で魔法生物飼育学の教授として働くことになった。ケトルバーンは教授時代に合計62回もの保護監査を受けた。
1960年から1970年代のある時点でグリフィンドール生パトリシア・レークピックがケトルバーンに近づき、禁じられた森の入り方についてアドバイスを求められた。ケトルバーンは禁じられた森に入る経緯をレークピックに質問した。それに対してレークピックは単に森の魔法生物を研究するためであると答えた。そして彼女は、ホグワーツ卒業後は魔法動物学者になるという夢を持っていることも付け加えた。これを聞いたケトルバーンは箒を使って入るのが良いとアドバイスを送った。
ダンブルドア校長時代[]
ディペットの後任にアルバス・ダンブルドアが就任した時にはケトルバーンの手足はほとんどが失われ、義手に置き換わっていた。
1980年代までに、彼は医務室の常連客となり、マダム・ポンフリーの治療を受けながら、それからと言うもの様々な魔法生物から攻撃を受け、幾太もの怪我から立ち直った。その回数はゆうに19回以上である。 1987年~1988年の学年では、ジェイコブのシブリングなどの生徒にいくつかの魔法生物について教えた。
退職[]
ケトルバーンは1993年にホグワーツの教授を退職し、その地位をルビウス・ハグリッドに譲った。生身の手足があるうちに余生を過ごしたかったためである。ダンブルドアは退職祝いに魔法の義手と義足を彼にプレゼントした。彼は定期的にドラゴンの生息域を訪れる習慣があったため、頻繁に義足を交換する必要があった。
引退後はホグズミードで過ごした。しかし、年齢と共に衰えも加速し、ホグワーツの戦いが勃発した際には体の衰えゆえに直接参加することは叶わなかった。しかし、家の前を通りすぎる死喰い人を前にして彼は家にあった家財道具を死喰い人目掛けて投げつけた。それ自体は何ら死喰い人にとってはどうでも良いことだったが、ヴォルデモート卿に対して見せた細やかな抵抗心の表れだった。
ケトルバーンには妻や子供はおらず、2014年頃に息を引き取った。
性格と特徴[]
ケトルバーンは魔法生物飼育学についてとても極端に熱心になった人物だった。彼はあらゆる魔法動物、特に危険な魔法動物を良く好んだ。彼はいつも陽気な性格だったが、風変わりな一面も持っていた。彼は自身に与えられた役割に常に忠実であり、リータ・スキーターが自身の教育方針を批判した際にはこれを一蹴した。
しかし、彼を雇用した校長アーマンド・ディペットはケトルバーンの教育方針は無謀であるとした。事実、ケトルバーンは魔法動物と関わる上で自身の手足を失っており、彼の安全に対する考えの希薄さ、稚拙さが現れていると言われても不思議ではなかった。だが、ケトルバーンは自身の怪我を気にしたり、後悔することはなく、むしろ義手義足の体は魔法生物学への敬意と献身さの現れと見なしていた。
登場作品[]
- ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (初言及)
- ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (映画) (言及のみ)
- 吟遊詩人ビードルの物語 (言及のみ)
- ポッターモア (言及のみ)
- 魔法ワールド (言及のみ)
- Short Stories from Hogwarts of Heroism, Hardship and Dangerous Hobbies (言及のみ)
- ハリー・ポッター:ホグワーツの謎 (初登場)
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