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Scourers

スカウラー

スカウラー(Scourers)は17世紀アメリカ合衆国で猛威を奮った、魔法使いの傭兵集団である[1]

当時アメリカには魔法政府や法律の執行機関が存在しなかったため、スカウラーのような無法者の集団が誕生した。彼らは犯罪者を捕らえるだけでなく、金になりそうな獲物なら誰でも標的にした。彼らは残忍で堕落しきった集団であり、虐殺や拷問を繰り返していた。最終的に彼らは、罪のないノー-マジを魔法使いや魔女に仕立て上げ、清教徒に売り渡すというあからさまな無法行為に手を染めるようになった[1]

一部のスカウラーは正義の裁きを逃れ、ノー-マジと結婚するなどして非魔法族の社会に姿をくらました。魔法界への復讐心を持つスカウラーたちは、子孫に魔法の存在を教え込み、魔法族は見つけ次第始末しなければならない存在だと思い込ませた。その結果、スカウラーの子孫は魔法族とノー-マジの関係に数世紀にわたって悪影響を及ぼした[1]ベアボーン家もそうした一族のひとつである。

歴史[]

形成[]

17世紀ヨーロッパからの移民であるノー-マジ魔法族北アメリカへの入植を開始した頃、この大陸の魔法コミュニティは小規模で散らばっていた。中央の魔法政府が不在であったことから、北アメリカの魔法コミュニティには効率的な治安維持システムが存在しなかった。そのすきを突き、さまざまな国の出身者からなる傭兵集団が形成され、スカウラーが誕生した。彼らは自警団や賞金稼ぎとして活動したが、犯罪者を捕らえるだけでなく、金になりそうな相手なら誰でも構わず狩りたてた[1]

台頭[]

Purgantes

スカウラー

スカウラーは時が立つにつれますます堕落していき、彼らの違法行為を取り締まる法的機関がなにもないのをいいことに、殺人や拷問といった残虐な行為に手を染めるようになった。17世紀の終わり頃、スカウラーの規模は拡大し、アメリカ全土に広まっていた。彼らは仲間であるはずの魔法族を売り買いしたり、罪のないノー-マジを魔法使いに仕立て上げ、ノー-マジの魔法使い狩りから報酬金をだまし取ったりもしていた。また魔法族の歴史家によれば、1692年から1693年にかけて行われたセーレム魔女裁判では、清教徒を名乗る判事のうち2名が、個人的なトラブルの報復を企むスカウラーであったとされている。スカウラーの活動や清教徒による迫害をニュースを通じて知っていた純血の魔法使いの多くは、アメリカへの移住を避けるようになった。新世界ではノー-マジから生まれた魔法使いや魔女の割合が高いのもそのためである[1]

壊滅[]

1693年、セーレム魔女裁判の影響を受け、北アメリカ大陸最初の魔法政府であるアメリカ合衆国魔法議会(MACUSA)が設立された。MACUSAにとって最初の課題となったのが、スカウラーに正義の裁きを与えることだった。数多くのスカウラーが殺人や魔法族の人身売買、拷問などの行為で有罪を宣告され、死刑によってその罪を償うことになった[1]

しかし、スカウラーの中でも特に悪名高いメンバー数名が裁きを免れ、国際的な指名手配が行われたにも関わらず逃げおおせた。彼らはノー-マジの社会に身を隠し、中にはノー-マジと結婚して家庭をもうけた者もいた。魔法族に発見されるのを防ぐため、こうした家庭では魔力を持った子どもは“間引かれ”、ノー-マジの子だけが育てられたと考えられている。スカウラーは魔法界を追放されたことへの復讐心を燃やし、子どもに魔法の存在を教え、魔法使いや魔女は滅ぼすべき者たちだと信じ込ませた[1]

その後[]

アメリカの魔法歴史学者であるテオフィロス・アボットはスカウラーに起源を持つ家庭を複数発見し、そのどれもが魔法の実在を信じ込み、魔法に対して深い憎しみを抱いていることを突き止めた。北アメリカのノー-マジは、魔法に関することについて、他の非魔法族社会と比べて騙されにくいとされており、スカウラーの子孫による活動や反魔法思想がその一因とされている[1]

18世紀ドーカス・トゥエルブツリーズという名の魔女が、スカウラーの子孫であるノー-マジのバーソロミュー・ベアボーンとピクニックで出会い、恋に落ちた。ドーカスはバーソロミューがスカウラーの血を引いているとは知らず、魔法界の秘密を彼に話してしまった。その後バーソロミューはドーカスから盗んだを新聞記者に見せて回り、魔法族の集会がある地域のビラを作ってばらまいた。これは国際魔法使い機密保持法の最大級の違反として知られ、1790年ラパポート法制定のきっかけともなった[2]

登場作品[]

脚注[]

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