"ダームストラングじゃ『闇の魔術』に関して、ホグワーツよりずっと気のきいたやり方をしている。生徒が実際にそれを習得するんだ" —ダームストラング専門学校についてドラコ・マルフォイ [出典]
ダームストラング専門学校とは、闇の魔術を教えることで有名な魔法学校である。校舎はスウェーデンかノルウェイの最北に位置しているが、ブルガリアからの留学生も積極的に受け入れている。ダームストラングは1994~1995学年度に三大魔法学校対抗試合に参加した学校のひとつである。古い学校であり1924年には既に存在していたことが明らかになっている。生徒たちは毛皮の外套に毛皮の帽子、深紅のローブを着る。
ダームストラングはマグル生まれの入学を認めていないが、生徒のビクトール・クラムはマグル生まれのハーマイオニー・グレンジャーをクリスマス・ダンスパーティの相手に誘ったことがある。
位置[]
ダームストラング城はホグワーツ魔法魔術学校と同じように城があるが、ホグワーツ城ほど大きくはない。城は4階建てで、魔法の目的においてのみ火が灯される。湖や山に囲まれ、広大な土地を持つこの学校は位置発見不可能である。ダームストラングは他の学校と同じく位置情報を隠すことで秘密を保っている。ダームストラング生はホグワーツに行くとき船を利用した。
歴史[]
ダームストラングは、ブルガリアの偉大な魔女ネリダ・ヴァルカノヴァによって中世に創設された。彼女が謎の死を遂げた後、「疑わしい忠誠心」で知られていたハーファング・ムンターが後を継ぎ、ダームストラングは戦闘魔術と決闘に重点を置いたカリキュラムで評判を確立した。
1294年頃、ダームストラング魔法学院、ホグワーツ魔法魔術学校、ボーバトン魔法アカデミーの間で三大魔法学校対抗試合が創設された。 しかし1792年に試合課題であるコカトリスが大暴れし、三校の校長が負傷するという事件が発生したため大会は無期限に中断された。のちの1994年に大会は再開した。
1880年代から1890年代頃、ゲラート・グリンデルバルドはダームストラングに入学した。同校は闇の魔術を重視していたが、グリンデルバルドの闇の魔術の実験は他の生徒にとって危険すぎるとみなされた。あるときから、ダームストラングは彼の危険な研究を無視できなくなり、彼を放校した。
退学させられる前に、グリンデルバルド「死の秘宝」の印を学校の壁に刻んだ。この印は、彼が追放された後もずっとそこに残っていた。学内のグリンデルバルドに対する反感を考えると、彼は印が消されないよう魔法で細工したと考えられる。グリンデルバルドは学校史上最高の生徒として注目されていた。
評判[]
ダームストラングは闇の魔術を教えることで有名で、闇の魔法使いゲラート・グリンデルバルドを輩出した。校長を務めたイゴール・カルカロフは就任前はヴォルデモート卿配下の死喰い人でありアズカバン収監の経験を持つ。彼は魔法省に仲間だった死喰い人の名前を売ることで釈放された。別の死喰い人ルシウス・マルフォイは息子のドラコをダームストラングに入れようとしていたが、妻が子供を遠くへやることを拒んだためホグワーツに入れた。
生徒[]
- ゲラート・グリンデルバルド
- ビクトール・クラム
- ポリアコフ
- 氏名不詳の校長
- イゴール・カルカロフ
- イゴール・カルカロフの助手
- ダームストラングの女子生徒
- 氏名不詳のダームストラングの生徒たち
登場作品[]
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (初言及)
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (映画) (言及のみ)
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (ゲーム) (言及のみ)
- ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 (言及のみ)
- ハリー・ポッターと死の秘宝 (言及のみ)