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2017年11月16日 (木) 08:34時点における版
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ナルシッサ・マルフォイ(旧姓ブラック)(1955-)は、純血[2]の魔女であり、]]ルシウス・マルフォイ]]の妻である。シグナス・ブラックとデゥルーエラ・ロジエールとの間に生まれた三女である。ベラトリックス・レストレンジが長女であり、アンドロメダ・トンクスが次女である。ドラコ・マルフォイの母であり、スコーピウス・マルフォイから見ると祖母である。
ナルシッサ・マルフォイは、死喰い人に一員にはならなかったが、血統の重要性を信じていて、第一次魔法戦争、第二次魔法戦争ともにヴォルデモート卿側に付き、ルシウス・マルフォイを援助していた [7]。しかし、ナルシッサ・マルフォイの夫がアズカバンに投獄され、ドラコ・マルフォイの人生がヴォルデモート卿によって危険にさらされた時、この考えが変わった。ナルシッサ・マルフォイは、ホグワーツの戦いのある時、ヴォルデモート卿によってハリー・ポッターの検死に向かわされたが、ヴォルデモート卿に嘘をつき、マルフォイ家を守るために最善の行動をとった[7]。
ナルシッサ・マルフォイは第二次魔法戦争の最後の戦いであるホグワーツの戦いの生き残りである。ドラコ・マルフォイがアストリア・グリーングラスと結婚し、孫のスコーピウス・ヒュペリオン・マルフォイが誕生した。しかし、ナルシッサ・マルフォイはアストリア・グリーングラスをかなり嫌っていたようだ。
経歴
生い立ち
ナルシッサ・マルフォイは、1955年に高貴なる貴族ことブラック家で生まれた。父はシグナス・ブラックで、母はデゥルーエラ・ロジエールであり、三人姉妹のうちの末っ子だった。長女はベラトリックス・レストレンジで、次女はアンドロメダ・トンクスである[8]。ナルシッサ・マルフォイは、生まれた時から血統にこだわるという教育を受けていて、純血の魔法使いこそ正しい魔法使いだと信じて育った。そのため、次女のアンドロメダ・トンクスがマグル生まれのテッド・トンクスと結婚した時は、長女のベラトリックス・レストレンジに倣い、アンドロメダ・トンクスをブラック家から抹消した[9]。
ナルシッサ・マルフォイは、1966年から1973年にかけてホグワーツ魔法魔術学校で魔法の勉強をした。寮はスリザリンで、そこで将来の夫であるルシウス・マルフォイに出会った[10]。
第一次魔法戦争
ナルシッサ・マルフォイは、1972年から1979年9月の間のいずれかの時点で[11]、ブラック家と同じ様に裕福な生活を送っている純血主義であったマルフォイ家の一人であるルシウス・マルフォイと結婚した。マルフォイ家は、イギリスの南部にあるウィルトシャー州のマルフォイ家の館でぜいたくな生活を送っていた。ルシウス・マルフォイは死喰い人であり、ナルシッサ・マルフォイも死喰い人のような生活になったものの、ナルシッサ・マルフォイは決して死喰い人にはならなかった。ナルシッサ・マルフォイとルシウス・マルフォイの間にはドラコ・マルフォイという一人息子がいた。ドラコ・マルフォイは、アンドロメダ・トンクスやベラトリックス・レストレンジの様に星や星座の名前から命名するというブラック家の伝統に従って付けられている。
ナルシッサ・マルフォイのいとこであるレギュラス・ブラックは第一次魔法戦争の際に殺され、レギュラス・ブラックの兄であったシリウス・ブラックとナルシッサ・マルフォイの姉ベラトリックス・レストレンジは、1981年にヴォルデモート卿が倒されたのちにアズカバンで終身刑を宣告された[12]。マルフォイ家は、社会的地位として格上の貴族であるため、魔法大臣のコーネリウス・ファッジや、上級次官のドローレス・アンブリッジなどに信頼されていたことや、ルシウス・マルフォイは、服従の呪文によって動かされていたのだという主張が聞き入れられたため、上の三人のような被害を被ることはなかった。しかし、ヴォルデモート卿の没落を見て息子を生かすことを最優先にし、家族でトラブルに巻き込まれないようにした。
戦いの間
1991年には、息子のドラコ・マルフォイが入学する年となった。夫のルシウス・マルフォイは、魔法学校の中で唯一闇の魔術に非常に力を入れており、純血か半純血の魔法使いしか入学を認めないという、マルフォイ家の家風と信念にに非常にあっていて、かつ校長のイゴール・カルカロフとは親しい仲にあるという状態のダームストラング専門学校に入学させようとしていた。しかし、ナルシッサ・マルフォイは、ダームストラング専門学校が北ヨーロッパにあるため、ドラコ・マルフォイがなるべく家に近い所にいてほしかったため、ダームストラング専門学校よりも家に近い位置にあるホグワーツ魔法魔術学校に入学させることにした。ナルシッサ・マルフォイはドラコ・マルフォイに非常に献身的で、ホグワーツ魔法魔術学校の第一学年のころは、毎日のようにふくろうでお菓子やケーキなどを送っていた[13]。
ナルシッサ・マルフォイは、1994年に夫のルシウス、息子のドラコと一所にクィディッチ・ワールドカップに出席した。魔法大臣のコーネリウス・ファッジが招待した特別貴賓席からゲームを見た[14]。
第二次魔法戦争
本部となった自宅
マルフォイ家の館での戦い
ホグワーツの戦い
その後の人生
しかし、ナルシッサ・マルフォイがヴォルデモート卿を裏切り、そのもとを去ったため、マルフォイ家は執行猶予を受け、アズカバンに投獄されることはなかった。ナルシッサ・マルフォイは、ドラコ・マルフォイがアストリア・グリーングラスと結婚をしたため、アストリア・グリーングラスから見て義母となった。
舞台裏
メディア
登場作品
- ハリー・ポッターと賢者の石 (初言及)
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (初登場)
- ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 (mentioned)
- ハリー・ポッターと謎のプリンス
- ハリー・ポッターと謎のプリンス (映画)
- ハリー・ポッターと謎のプリンス (ゲーム)
- ハリー・ポッターと死の秘宝
- ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1
- ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 (ゲーム)
- ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2
- ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2 (ゲーム) (言及のみ)
- レゴ ハリー・ポッター
- レゴ ハリー・ポッター
- レゴ ハリー・ポッター 第5章-第7章
- ハリー・ポッター魔法族大図鑑
脚注
- ↑ World Exclusive Interview with J K Rowling," South West News Service, 8 July 2000
- ↑ 2.0 2.1 Writing by J.K. Rowling: "Draco Malfoy" - Pottermore - "With the unquestioning belief in his own superior status he has imbibed from his pure-blood parents, he initially offers Harry friendship on the assumption that the offer needs only to be made to be accepted."
- ↑ 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』第8章 クィディッチ・ワールドカップ - "Draco greatly resembled his father. His mother was blonde too;"
- ↑ 4.0 4.1 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第2章 スピナーズ・エンド - "She was so pale that she seemed to shine in the darkness; the long blonde hair streaming down her back gave her the look of a drowned person.
- ↑ 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第2章 スピナーズ・エンド - "His black eyes were fixed upon Narcissa's tear-filled blue ones as she continued to clutch his hand."
- ↑ 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第6章 ドラコ・マルフォイの回り道 - "“It’s all right, Draco,” said Narcissa, restraining him with her thin white fingers upon his shoulder."
- ↑ 7.0 7.1 Online Chat with JK
- ↑ Black family tree
- ↑ ハリー・ポッターと死の秘宝
- ↑ ハリー・ポッターと秘密の部屋
- ↑ The first date, 1972, is when Narcissa turned 17 and was eligible for marriage; the second date, September 1979, is nine months before Draco's birth, at which point she had to be married to Lucius.
- ↑ ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
- ↑ ハリー・ポッターと賢者の石
- ↑ ハリー・ポッターと炎のゴブレット