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+ | *ニュート・スキャマンダーは『[[幻の動物とその生息地 (現実世界)|幻の動物とその生息地]]』が原案の映画シリーズ『[[ファンタスティック・ビースト (映画シリーズ)|ファンタスティック・ビースト]]』の主人公である。俳優は[[エディ・レッドメイン]]。 |
+ | *映画シリーズ第2作『{{COG}}』では[[ジョシュア・シア]]が学生時代のニュートを演じた。 |
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+ | *[[ハリー・ポッター (映画シリーズ)|ハリー・ポッター]]の映画シリーズではスキャマンダーの[[肖像画]]が[[校長室]]に飾られている。彼の肖像画は『[[ハリー・ポッターと秘密の部屋 (映画)|ハリー・ポッターと秘密の部屋]]』で初めて登場した。(校長室に肖像画があるということは、スキャマンダーはホグワーツの歴代校長の1人で、[[1992年]]時点で既に死んでいることになるが、これは他の公式作品の情報と明らかに矛盾している) |
− | *興味深いことに上記の肖像画には[[wikipedia:ja:アルブレヒト・デューラー|アルブレヒト・デューラー(1471年~1528年)]]の[[wikipedia:ja:モノグラム|モノグラム]]が書かれているが、デューラー |
+ | *興味深いことに上記の肖像画には[[wikipedia:ja:アルブレヒト・デューラー|アルブレヒト・デューラー(1471年~1528年)]]の[[wikipedia:ja:モノグラム|モノグラム]]が書かれているが、デューラーが生きた時代はスキャマンダーと全く異なる。またこの肖像画自体は、[[wikipedia:David Scougall|デイビット・スクーガル]]が描いた[https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/The_Marquess_of_Argyll.jpg 初代アーガイル侯爵アーチボルド・キャンベルの肖像画]をベースに制作されたとみられる。 |
− | *[[2001年]]、[[J・K・ローリング]]はイギリスのチャリティ活動コミック・リリーフのために作中作である『[[幻の動物とその生息地]]』を実際に出版した。この本はハリー・ポッター世界の視点から書かれており、ニュート・スキャマンダーが本の「著者」となっている。 |
+ | *[[2001年]]、[[J・K・ローリング]]はイギリスのチャリティ活動「コミック・リリーフ」のために、ハリー・ポッター シリーズの作中作である『[[幻の動物とその生息地]]』を実際に出版した。この本はハリー・ポッター世界の視点から書かれており、ニュート・スキャマンダーが本の「著者」となっている。のちにこの本を原案とした映画にもニュートが主役として登場している。 |
− | *スキャマンダーはシリーズに初めて名前が登場したハッフルパフ生であるが、こ |
+ | *スキャマンダーはシリーズに初めて名前が登場したハッフルパフ生であるが、彼がハッフルパフ出身であることは小説ではなく[[ポッターモア]]で明かされた。 |
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+ | *『[[ハリー・ポッターと賢者の石]]』が初めてドイツ語に翻訳された時、ニュートの名前は“ラーチ”・スキャマンダーと訳された。ラーチ(Lurch)はドイツ語で両生類を意味する。 |
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*映画『[[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (映画)|ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]]』では[[忍びの地図]]にニュート・スキャマンダーの名が表示されている。 |
*映画『[[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (映画)|ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]]』では[[忍びの地図]]にニュート・スキャマンダーの名が表示されている。 |
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*『[[幻の動物とその生息地 (現実世界)|幻動物とその生息地]]』の「著者について」の項目にはニュートはホグワーツを卒業したと書かれているが、[[J・K・ローリング]]は映画のドキュメンタリーやインタビュー等で、ニュートは退学処分を受けたとコメントしている。しかしローリング監修のもと制作された映画の小道具の書類には、ニュートは退学を言い渡されたがダンブルドアの反対で取り消しになったという記述があり、最終的な公式見解ははっきりしていない。<ref name="退学"/> |
*『[[幻の動物とその生息地 (現実世界)|幻動物とその生息地]]』の「著者について」の項目にはニュートはホグワーツを卒業したと書かれているが、[[J・K・ローリング]]は映画のドキュメンタリーやインタビュー等で、ニュートは退学処分を受けたとコメントしている。しかしローリング監修のもと制作された映画の小道具の書類には、ニュートは退学を言い渡されたがダンブルドアの反対で取り消しになったという記述があり、最終的な公式見解ははっきりしていない。<ref name="退学"/> |
2018年11月28日 (水) 08:15時点における版
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"私は5大陸にわたって巣穴、隠れ穴、営巣地を訪ね歩き、100か国におよぶ国々で、魔法動物の珍しい習性を観察し、その力を目のあたりにし、動物たちの信頼を勝ち得たが、時には旅行用やかんで撃退したこともあった" —ニュートン・スキャマンダー [出典]
ニュートン・アルテミス・フィド・"ニュート"・スキャマンダー、マーリン勲章受賞(勲二等)(1897年生まれ)はイギリスの著名な魔法動物学者で、『幻の動物とその生息地』の著者。スキャマンダーはヒッポグリフ珍種のブリーダーだった母親の影響を受け、幼い頃に魔法界の生物に関心を抱いた。ホグワーツ魔法魔術学校に入学した彼はハッフルパフ寮に組分けされ、のちに退学処分を言い渡されたが、当時闇の魔術に対する防衛術の教授であったアルバス・ダンブルドアはこれに強く反対した。
スキャマンダーは魔法省の魔法生物規制管理部の役人になった。屋敷しもべ妖精転勤室に2年間務めた後、彼は動物課に移って目覚ましい昇進を遂げる。1918年、スキャマンダーはオブスキュラス出版社のオーガスタス・ワームの依頼を受けて『幻の動物とその生息地』を執筆することになった。『幻の動物とその生息地』は世界的ベストセラーとなり、スキャマンダーは魔法動物学の権威として尊敬を集めるようになった。私生活においてはポーペンティナ・ゴールドスタインと結婚し、少なくとも子どもを1人もうけている。1990年代初頭の時点でスキャマンダーは既に引退しており、夫人やペットと共にドーセットに住んでいた。
経歴
生い立ち(1897~1908年)
ニュートン・アルテミス・フィド・"ニュート"・スキャマンダーは1897年[1]2月24日[2]にイギリス・イングランドで生まれた[3]。兄弟は少なくとも1人、兄のテセウスがいる[6]。母親がヒッポグリフ珍種の熱心なブリーダーだったことから、スキャマンダーも幼い頃から魔法界の生物に関心を抱くようになった。7歳の時、スキャマンダーは子ども部屋でホークランプをバラバラにしながら何時間も過ごした[1] 。
ホグワーツ(1908~191?年)
ニュート・スキャマンダーは1908年にホグワーツ魔法魔術学校に入学した。彼は入学前に(おそらくオリバンダーの店で)杖を購入し、9月1日にハッフルパフ寮に組分けされた[10]。在学中は魔法動物の学習に励んだ[11]。また彼はともに魔法動物に興味を持ち、学内のつまはじき者であったリタ・レストレンジと親しくなる[11][12]。
1913年、ジャービーを使ったリタの実験が大失敗となって他の生徒の命を危険にさらした。この事件は、ジャービーの所有を禁じる法律にも違反する重大事だった[11][13]。親友が退学になるのを見ていられなかったニュートは、その罪をかぶって代わりにホグワーツの退学処分を受けた[11]。
当時ホグワーツの教授であったアルバス・ダンブルドアはスキャマンダーの味方となり、強く潔白を主張した[13][14]。結局スキャマンダーの退校処分が実際に履行されたのか否か、それとも処分後に復学を許されたのか、確かなことは分かっていない[15]。少なくともスキャマンダーは本件以降も杖を携帯することを許されている。
魔法省職員(1914~1918年)
"やることがなくて、退屈極まりなかった" —屋敷しもべ妖精転勤室に務めた2年間について、ニュート・スキャマンダー [出典]
1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦のさなか、スキャマンダーはイギリス魔法省の機密プログラムに参加し、東部戦線でウクライナ・アイアンベリーを手懐けるために戦った。しかしドラゴンはスキャマンダーにだけ従順で、他の者を食べようとするため、このプログラムは中止となった[16][17]。
スキャマンダーはイギリス魔法省の職員になり、魔法生物規制管理部に配属された。最初の2年間、スキャマンダーの部内での所属は屋敷しもべ妖精転勤室だったが、この仕事は彼にとって非常に退屈なものだった。その後、彼は動物課に転勤となり、奇怪な魔法動物に関する幅広い知識によって目覚ましい昇進を遂げることになる[1]。これは彼が魔法動物学者の道に進むきっかけとなったが、彼の家族はこのキャリアの選択にあまり感心しなかった[3]。
世界魔法戦争(1918~1927年)
幻の動物とその生息地
"その当時、私は魔法省のしがない役人であり、2つの理由でこのチャンスに飛びついた。まず、1週間2シックルという哀れな給料の足しにするため。そしてまた、休暇中には魔法生物の新種を求めて世界中を旅するためだった" —オーガスタス・ワームから本の執筆を依頼された当時を振り返り、ニュート・スキャマンダー [出典]
1918年、スキャマンダーはオブスキュラス出版社のオーガスタス・ワームから“権威ある魔法動物概論”を執筆してはどうかと声をかけられる。当時、魔法省での給料が1週間2シックルしかなかったスキャマンダーは、余分な金を稼ぐため、また、休暇中に魔法生物を探しながら世界中を旅するためにこのチャンスに飛びついた。
以降、スキャマンダーは本を執筆するため5大陸の100か国を旅し、数多くの魔法動物を観察した。彼は暗いジャングルや砂漠、山頂、湿原など幅広い地形に足を運び、時には動物から信頼を得ることもあったが、時には旅行やかんを使って危険な動物を撃退することもあった。あるとき彼はオブスキュラスに遭遇し、宿主の死後これを魔法で拡張されたスーツケースに収めた。
ニューヨーク来訪
ニュートは1年にも及ぶ魔法動物とその自然生息地の調査を1925年から開始した。赤道ギニアをあとにしたスキャマンダーは1926年12月に一時的な滞在のつもりでニューヨークに到着した。しかし、ジェイコブ・コワルスキーという名のマグルが誤ってスキャマンダーの魔法動物が入ったスーツケースを開けたことで、思いもよらぬ大事件が発生した。当時新セーレム救世軍と呼ばれるマグルの狂信的過激派グループの存在が原因でアメリカ合衆国における魔法社会と非魔法社会の関係は緊張状態にあったのである。そのせいもあり、スキャマンダーのスーツケースに端を発する事件は非常に大きな規模にまで発展しアメリカ合衆国魔法議会の介入を必要とすることになる。
また、スキャマンダーはニューヨーク滞在中に未来の妻となるポーペンティナ・ゴールドスタインやその妹クイニーと出会う。逃げた動物たちを捕まえる中、ニュートはオブスキュラスに遭うが魔法議会が制圧した。ニュートはパーシバル・グレイブスを倒し、その正体が闇の魔法使いで凶悪犯罪者ゲラート・グリンデルバルドその人であることを解き明かした。ニュートは魔法界の存在が広く知れ渡ることを防ぐため、サンダーバードのフランクを使ってスウーピング・イーヴルの毒の雨を降らせ友人ジェイコブ・コワルスキーを含むニューヨーク中のマグルから悪い記憶を消し去った。
一週間後の12月15日、スキャマンダーは仕事場であるモートン・デール缶詰工場に向かうコワルスキーにぶつかり、スーツケースをすり替えて彼にオカミーの卵の殻とパン屋の融資を受ける担保に殻を使うよう指示した手紙を渡した。
翌日の1926年12月16日、ニュートはティナに別れを告げるが、本が完成したら直接届けに戻ると約束した。
1927年、『幻の動物とその生息地』が出版され、大規模なベストセラーとなった。この本はホグワーツ魔法魔術学校の指定教科書となり、1990年代の後半には52版を数えていた。
また、正確な時期は不明だが彼は幼い読者のために『子ども向け怪物アンソロジー』を著した。
その後(1927~2017年)
スキャマンダーはポーペンティナ・ゴールドスタインと結婚し、少なくとも1人子どもをもうけている。スキャマンダーにはロルフという名の孫がいる。
1947年、スキャマンダーはほとんど独力で狼人間登録簿を作成する。また1965年にはスキャマンダーの功績により実験的飼育禁止令が成立する。これはイギリス国内において飼い慣らすことができない怪物の新種を創造することを事実上禁止する法律で、スキャマンダーが最も誇りとする自らの業績だった。また、彼はドラゴンの研究および制御室の仕事で頻繁に海外調査に出向くようになり、その際に収集した情報は『幻の動物とその生息地』の新しい版に収録された。
1979年、スキャマンダーは魔法動物学への貢献を認められマーリン勲章勲二等を授与される。また、スキャマンダーは蛙チョコレートのカードにもなっている。
1990年代初頭の時点で、スキャマンダーは現役を退いてポーペンティナ夫人やペットのニーズル3匹、ホッピー、ミリー、モーラーとともにドーセットに住んでいた。しかし、彼はブラジルの熱帯雨林に生息するファイア・スラッグの研究を進めていた。1993年から1994年にかけての学期のさなか、スキャマンダーはホグワーツ校を訪問した(この頃、『幻の動物とその生息地』がマグル向けに発売されることになったため、学校関係者と出版に関する話し合いをしに来た可能性がある。彼はこのマグル向け特別限定版のためにアルバス・ダンブルドア校長にまえがきの執筆を依頼した)。ロルフ・スキャマンダーはルーナ・ラブグッドと結婚し、ニュートにとって曾孫にあたる双子ローカンとライサンダー・スキャマンダーが誕生した。
ニュートは2017年時点でも健在で、「幻の動物とその生息地」の新版のまえがきを執筆した。彼はこのまえがきで、彼こそが1926年のニューヨークへの旅において史上初めてゲラート・グリンデルバルドを捕獲した魔法使いであるという大衆の噂を肯定した。
個性と特徴
"名前がイカシテル" —ニュート・スキャマンダーのフルネームについて、ロナルド・ウィーズリー [出典]
スキャマンダーは『幻の動物とその生息地』のために労を惜しまず研究を行った熱心な魔法動物学者だった。彼は魔法動物学の分野の権威とみなされ、その著作は魔法コミュニティにおいて敬意を払われていた。変わり者として知られていたスキャマンダーは、ヒトよりも動物に囲まれている方が快適だと考えていた。
魔法能力と技術
- 魔法生物飼育学:ニュート・スキャマンダーは若い頃から魔法動物学に興味を持ち、世界中の多種多様な動物に関する幅広い知識を身につけた。彼はその魔法動物学に対する貢献を認められてマーリン勲章勲二等を授与され、有名魔女・魔法使いカードにもその名を残している。
- 魔法薬学:その著書の中で、スキャマンダーは魔法生物の一部を魔法薬として利用するための方法についてヒントを記している。彼の知識が魔法薬学の理論に基づいているのかどうか、あるいは彼自身が魔法薬を作ることができたのかどうかは不明である。
- 魔法史:スキャマンダーは魔法史(特に魔法動物学に関連する歴史)に関する知識を備えていた。『幻の動物とその生息地』の「魔法動物とは何か?」を始めとする章では、数世紀にわたる魔法動物の歴史が解説されている。
- マグル学:ニュートはマグルがいかにして魔法動物に反応するかとマグルがどのように動物を現実から逸脱したおとぎ話に盛り込んでいるかを研究した。彼はまた、マグルがディリコールの存在を認識しており絶滅したと信じ込んでいることを知っていた。彼は著書の一章を割いてマグルの魔法動物に対する認知度について説明した。
所持品
- 杖:彼の杖はライムと貝の殻でできており芯には骨が使われている。ベースにはあこや貝も使用されている。
- スーツケース:探知不可能拡大呪文により魔術で拡大されたスーツケース。ニュートはこれに魔法動物を入れて旅をした。中には彼の作業小屋もあった。スイッチを切り替えることで中身をマグルから隠すことも可能である。
- パスポート:ニュートは世界を旅する際マグルが使うポスポートを使用した。
名前の由来
ニュート・スキャマンダーのフルネームの由来は複数ある。ニュートンはイモリ(Newt)を指し、これはニュートというニックネームにも使われている。また、イギリスの数学者アイザック・ニュートンが由来となっている可能性もある。アルテミスはギリシア神話に登場する狩猟の女神である。フィドは一般的な犬の名前で、ラテン語で誠実さを意味する。スキャマンダーは発音的に「サラマンダー」に近い。彼のニックネームの「ニュート」は小さく明るい色をしたサラマンダーである。
舞台裏
- ニュート・スキャマンダーは『幻の動物とその生息地』が原案の映画シリーズ『ファンタスティック・ビースト』の主人公である。俳優はエディ・レッドメイン。
- 映画シリーズ第2作『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』ではジョシュア・シアが学生時代のニュートを演じた。
- ニュート・スキャマンダーはビデオゲーム『LEGO Dimensions』のプレイアブルキャラであり『幻の動物とその生息地』をテーマとしたレゴのセットも発売された。
- ハリー・ポッターの映画シリーズではスキャマンダーの肖像画が校長室に飾られている。彼の肖像画は『ハリー・ポッターと秘密の部屋』で初めて登場した。(校長室に肖像画があるということは、スキャマンダーはホグワーツの歴代校長の1人で、1992年時点で既に死んでいることになるが、これは他の公式作品の情報と明らかに矛盾している)
- 興味深いことに上記の肖像画にはアルブレヒト・デューラー(1471年~1528年)のモノグラムが書かれているが、デューラーが生きた時代はスキャマンダーと全く異なる。またこの肖像画自体は、デイビット・スクーガルが描いた初代アーガイル侯爵アーチボルド・キャンベルの肖像画をベースに制作されたとみられる。
- 2001年、J・K・ローリングはイギリスのチャリティ活動「コミック・リリーフ」のために、ハリー・ポッター シリーズの作中作である『幻の動物とその生息地』を実際に出版した。この本はハリー・ポッター世界の視点から書かれており、ニュート・スキャマンダーが本の「著者」となっている。のちにこの本を原案とした映画にもニュートが主役として登場している。
- スキャマンダーはシリーズに初めて名前が登場したハッフルパフ生であるが、彼がハッフルパフ出身であることは小説ではなくポッターモアで明かされた。
- 『ハリー・ポッターと賢者の石』が初めてドイツ語に翻訳された時、ニュートの名前は“ラーチ”・スキャマンダーと訳された。ラーチ(Lurch)はドイツ語で両生類を意味する。
- 映画『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』では忍びの地図にニュート・スキャマンダーの名が表示されている。
- 『幻動物とその生息地』の「著者について」の項目にはニュートはホグワーツを卒業したと書かれているが、J・K・ローリングは映画のドキュメンタリーやインタビュー等で、ニュートは退学処分を受けたとコメントしている。しかしローリング監修のもと制作された映画の小道具の書類には、ニュートは退学を言い渡されたがダンブルドアの反対で取り消しになったという記述があり、最終的な公式見解ははっきりしていない。[15]
登場作品
- ハリー・ポッターと賢者の石 (初言及)
- ハリー・ポッターと賢者の石 (ゲーム) (有名な魔法使いカードに登場)
- ハリー・ポッターと秘密の部屋 (映画) (肖像画のみ)
- ハリー・ポッターと秘密の部屋 (ゲーム) (有名な魔法使いカードに登場)
- ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (映画) (忍びの地図上に登場)
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (映画) (肖像画のみ)
- ハリー・ポッターと謎のプリンス (映画) (肖像画のみ)
- ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 (肖像画のみ)
- ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2 (肖像画のみ)
- レゴ ハリー・ポッター 第1章-第4章 (肖像画のみ)
- レゴ ハリー・ポッター
- Lego Dimensions
- 幻の動物とその生息地
- ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 (初登場)
- ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 映画オリジナル脚本版
- ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生
- ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 魔法映画への旅
- 魔法への招待:ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 メイキング・ブック
- ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 キャラクターガイド
- Harry Potter: The Exhibition (肖像画のみ)
- ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター (肖像画のみ)
- ハリー・ポッター 完結の瞬間 ~J.K.ローリングの一年~
- ポッターモア (言及のみ)
脚注
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