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"すばらしい魔法使いだ。バーティ・クラウチは。強力な魔法力―それに、権力欲だ" —バーティ・クラウチについてシリウス・ブラック [出典]
バーテミウス・"バーティ"・クラウチ・シニア(1995年5月27日死亡)とは、20世紀中盤から後半にかけて有力だった魔法省の職員である。彼は第一次魔法戦争中、魔法法執行部の部長を務めたがやがて国際魔法協力部部長の職に追いやられた。クラウチは「暴力には暴力を」という姿勢で有名であり死喰い人が被害者に対して行った犯罪には同じくらい無情で残酷な処置を取った。
戦後、彼は部長の座を追われ国際魔法協力部部長に落ち着いた。その後彼は自分を軽蔑する死喰い人の息子バーティ・クラウチ・ジュニアの手にかかって殺された。彼とその息子は純血のクラウチ家最後のメンバーだった。
経歴[]
生い立ち[]
バーテミウスは純血のクラウチ家に生まれ、ホグワーツ魔法魔術学校で優秀な成績を収め、魔法省に就職したと考えられる。彼は結婚し、妻との間に息子バーテミウス・クラウチ・ジュニアをもうけた。クラウチ氏は魔法省で急速に出世し、魔法法執行部を率いた。彼は生涯魔法省での仕事に時間を費やし、家族、特に息子に気を配ることをしなかった。シリウス・ブラック曰く”魔法省大臣になることに一生をかけてきた男”である。
第一次魔法戦争(1970-1981)[]
第一次魔法戦争で死喰い人らが逃亡した際、彼はシリウス・ブラックを含む数人の容疑者を、裁判なしにアズカバンでの終身刑を言い渡した。彼は闇祓いが必要に応じて許されざる呪文を使うことを許可し、”捕らえるより殺す”、”先に攻撃し、後で質問する”という原則を貫いた。彼の対応は厳しいものであったが、多くの魔法使いはヴォルデモート卿を倒すために正しい行いをしていると信じた。アルバス・ダンブルドアが大臣の推薦を断ったあと、大勢の人が次の大臣が彼になると予想した。しかし、息子が他の死喰い人三人とともにアリス・ロングボトムとフランク・ロングボトムを拷問した罪に問われた際、息子と妻の嘆願も証拠も無視し、終身アズカバンへ投獄することとし、自分には息子などいないと残酷に主張したことで彼の評判は大きく落ちた。
登場作品[]
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (初登場)
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット (映画)
- ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 (言及のみ)
- ハリー・ポッター謎のプリンス (言及のみ)
- ハリー・ポッターと死の秘宝 (言及のみ)
- レゴ ハリー・ポッター 第1章-第4章
- ハリー・ポッター魔法族大図鑑 (言及のみ)