パンジー・パーキンソン(1979年または1980年生まれ)とは、ハリー・ポッターと同じ時代にホグワーツ魔法魔術学校に在籍した魔女である。彼女は聖28一族に名を連ねるパーキンソン家に生まれた。パンジーはスリザリン寮に組分けされ5年生のときに監督生に就任した。同年、彼女は短命に終わった尋問官親衛隊にも参加した。
1998年5月2日、ホグワーツで第二次魔法戦争の最後の戦いが勃発すると、ハリー・ポッターをヴォルデモート卿に差し出すことを主張したが、それに反対してハリーを守ろうとした多くの生徒たちに杖を向けられてしまった。
戦いが始まる前に他のスリザリン生とホグワーツ城を後にしているため、パンジーは第二次魔法戦争を生き延びたと考えられる。
経歴[]
生い立ち[]
パンジーは1979年または1980年に生まれた。彼女はパーキンソン家の構成員であり、元魔法大臣のパーセウス・パーキンソンの子孫筋に当たる可能性がある。また、パーキンソン家は聖28一族にリストアップされる一族であるが、彼女自身が純血かどうかは不明である。
ホグワーツ在学中(1991~1998年)[]
1~2年目[]
パンジーは1991年にホグワーツ魔法魔術学校に入学し、スリザリン寮に組み分けされた。入学後すぐ、スリザリンの同級生であるドラコ・マルフォイ、ビンセント・クラッブ、グレゴリー・ゴイルらと親しくなり、またミリセント・ブルストロードなどの女子からも人気を得た。彼女とドラコらはスリザリンの男子、女子それぞれのリーダー的存在となり、スクールカーストの頂点であることを利用して時には他の生徒や友達をいじめた。
3年目[]
1993年、ホグズミード駅へ向かっていたホグワーツ特急がシリウス・ブラック捜索のために派遣された吸魂鬼によって襲撃され、ハリー・ポッターが吸魂鬼の前で気を失った。彼女はこの出来事を引き合いに出し、彼をからかったスリザリン生の一人だった。
魔法生物飼育学の授業中に、ドラコはハグリッドの忠告を無視し、バックビークに近づき無礼な振舞いを行ったため、逆上したバックビークが彼を攻撃した。彼女は怪我をしたドラコに涙を浮かべながら、医務室に搬送される彼を心配そうに見つめていた。その後、彼女は頻繁にドラコの見舞いに訪れた。
4年目[]
パンジーの4年目、ホグワーツでは多くの魔法使いが注目するような大きなイベントである三大魔法学校対抗試合が開催された。パンジーはハリーがハーマイオニーと恋仲である噂など、ハリー、ハーマイオニー、ハグリッドに関する誤った情報リータ・スキーターに流していた生徒の1人だった。彼女は仲間のスリザリン生が作成したハリーを貶めるバッジを非常に面白がり、ドラコがデンソージオの呪いを誤ってハーマイオニーに当たり、彼女の前歯が大きくなったのを見て大笑いした。
5年目[]
5年生になるとパンジーはスリザリンの監督生に選出された。始業式に彼女はドラコと一緒にセストラルが曳く馬車に乗った。今年度は魔法省からドローレス・アンブリッジが闇の魔術に対する防衛術の教授に就任した年だった。彼女は尋問官親衛隊を作成し学校監視体制を強化した。パンジーはこの親衛隊に加わり彼女の権力を支えた。
ある講義で、ドラコはハーマイオニーを真似て熱心に手を挙げる素振りを見せてパンジーは笑い叫んだ。ハグリッドがホグワーツに戻ってきた時には、彼女は彼の授業が気に食わないことを告げ口した。
登場作品[]
- ハリー・ポッターと賢者の石 (初登場)
- ハリー・ポッターと賢者の石 (映画)[1]
- ハリー・ポッターと秘密の部屋 (映画)[2]
- ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
- ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (映画)
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット
- ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
- ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 (映画)
- ハリー・ポッターと謎のプリンス
- ハリー・ポッターと謎のプリンス (映画)
- ハリー・ポッターと死の秘宝
- ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1[3]
- ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2
- レゴ ハリー・ポッター 第1章-第4章 (おそらく登場) (名前なし)
- ポッターモア (言及のみ)
脚注[]
- ↑ http://www.pinoyexchange.com/forums/showthread.php?t=100231&page=10
- ↑ http://www.pinoyexchange.com/forums/showthread.php?t=100231&page=10
- ↑ http://www.imdb.com/name/nm2906885/