"ユーモアってやつが、ドビーのティーポット・カバーを被って目の前で裸で踊ったって、パーシーが気がつきゃしないよ" —ロン・ウィーズリー [出典]
パーシー・イグネイシャス・ウィーズリー(1976年8月22日生まれ)とは、アーサー・ウィーズリーとモリー・ウィーズリー(旧姓プルウェット)の3男で純血の魔法使いだった。彼はビル、チャーリーの弟でフレッド、ジョージ、ロン、ジニーの兄だった。パーシーは1989年から1994年までホグワーツ魔法魔術学校に在籍し監督生と首席を務めた。彼は規則に厳格でフレッドとジョージのいたずらを快く思っていなかった。野心家で、卒業後は魔法省国際魔法協力部のバーティ・クラウチ・シニアの下で働きその後魔法省下級補佐官に昇進した。
パーシーの出世はヴォルデモート卿の復活の後、家族との間に亀裂を生んだ。父親のアーサーは、パーシーのコーネリウス・ファッジ魔法大臣のオフィスへの昇進は、ウィーズリー家とアルバス・ダンブルドアを監視するためだと考えていた。パーシーはこれを否定し、魔法省の見解を支持してヴォルデモート卿の復活を信じようとしなかったため、家族と疎遠になっていった。魔法省の戦い以降は魔法省も復活を認めたが、パーシーのプライドが家族との和解を許さなかった。1997年、死喰い人たちによる魔法省の陥落が起きると、パーシーも間違いを認め家族のもとに戻る決断をした。1998年、アバーフォース・ダンブルドアからホグワーツの戦いの知らせを受けたパーシーは、ホグワーツ城に行き家族と再会を果たした。彼自身は戦いを生き延びたが、隣で戦っていた弟フレッドが死ぬと、悲しみに打ちひしがれ復讐に燃えた。
ヴォルデモート卿が倒れた後、パーシーは魔法省に戻って、新たな大臣キングズリー・シャックルボルトの下で魔法運輸部の部長に就任した。彼はオードリーという名の女性と結婚しふたりの娘をそれぞれモリー、ルーシーと名付けた。
経歴[]
ホグワーツ在学時代テンプレート:1987年~1994年[]
パーシーは1987年にホグワーツ魔法魔術学校に入学、他のウィズリー家同様にグリフィンドールに組分けされた。彼は「スキャバーズ」と呼ばれるペットを飼っていた。
2年目[]
2年目の初めにパーシーはホグワーツの図書室でジェイコブのシブリングと共に勉強会を開き、彼にスキャバーズを紹介した。パーシーは2人の兄弟を引き連れてジェイコブのシブリングと共にジェイコブが使っていた部屋に行った。
この年のある時点でスキャバーズは行方不明になった。
3年目[]
彼は3年目に魔法生物飼育学、マグル学、古代ルーン文字学、数占い学、占い学を選択した。パーシーはハリー・ポッターに3年目にマグル学と占い学を選択するようにアドバイスした。パーシーはこれらの科目が将来有用であると考えた。
登場作品[]
- ハリー・ポッターと賢者の石 (初登場)
- ハリー・ポッターと賢者の石 (映画)
- ハリー・ポッターと賢者の石 (ゲーム)
- ハリー・ポッターと秘密の部屋
- ハリー・ポッターと秘密の部屋 (映画)
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- ハリー・ポッターと炎のゴブレット
- ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
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