"魔法省が来いと言えばすっ飛んでいくクズだとでも?いったい誰に向かって物を言ってるのか、わかってるのか?この小汚ねえ、ちんちくりんの穢れた血め!" —マールヴォロ・ゴーント [出典]
マールヴォロ・ゴーントとは純血[3]の魔法使いであり、ゴーント家の一員でサラザール・スリザリンの子孫である。娘メローピーはのちにヴォルデモート卿となるトム・マールヴォロ・リドルを出産し、マールヴォロは彼の母方の祖父にあたる。マールヴォロは息子モーフィンとともにボブ・オグデンら数人の魔法省役人を襲った罪でアズカバンに6ヶ月間収監され、釈放された直後に死亡した[5] 。彼はまた、大きな金の指輪とスリザリンのロケットを所持し、純血の家系を誇示するのに利用していた。マールヴォロはゴーントの純血の家に生まれ、彼と彼の子供であるモーフィン・ゴーントとメローピー・リドルは、サラザール・スリザリンの最後の生きた子孫であった。何世紀にもわたる近親交配は、貧困と精神の不安定、暴力を好む傾向をひきおこした。その結果、彼と彼の子供たちはリトル・ハングルトンの近くの荒廃したコテージで住んでいた。
経歴[]
マールヴォロは純血のゴーント家に生まれた。マールヴォロとその子供たち、モーフィンとメローピーはサラザール・スリザリンの最後の子孫だった。数世紀に及ぶ近親婚は貧困、不安定と暴力の血脈を一族内に蔓延らせた。 「感覚の欠如と壮大さを好む傾向が結び付いてしまったことは、マールヴォロの生まれる数世代前に一族の財産が浪費されてしまったことを意味した」。その結果として、彼と彼の子供たちはリトルハングルトンそばの荒廃したコテージで生活した。マールヴォロは自身が高貴な生まれであると主張したが、彼は村民のあいだでは浮浪者として知られていた。
マールヴォロはたいていロケットや指輪などの家宝を見せびらかして過ごしていた。マールヴォロは彼と幾つか同じような性質を持つ息子のモーフィンとは良好な関係を築いていた。この性質には純血主義や暴力的であること、そしてメローピーに対し虐待的であることなどが含まれていた。
マールヴォロは娘のメローピーを嫌っていた。マールヴォロは魔法をうまく扱えない彼女をスクイブと罵ったが、メローピーが魔法をうまく使えないのはおそらく父と兄に虐待されているせいだった。マールヴォロはよくメローピーを虐待し、モーフィンはそれを見ながら笑っていた。
事件[]
精神に異常があり、かつ機密保持法を軽んじていたモーフィン・ゴーントは、マグルの面前で頻繁に魔法を使用し、マールヴォロも息子のその行動を認めていた。 そしてマールヴォロは必然的に魔法省と対立することになった。魔法法執行部隊隊長のボブ・オグデンがこの事案に対処するために彼の住居を訪れたとき、マールヴォロとモーフィンは激しく抵抗した。マールヴォロはモーフィンの行動を正当化し、冷静に話し合いを求めるオグデンを妨害した。 そしてオグデンが立ち去ろうとしたその時、モーフィンは冷酷にも、自分が襲ったマグル、トム・リドル・シニアにメローピーが恋愛的な憧れを抱いていることを暴露した。マルヴォロは激怒し、「血を裏切る者」である娘を絞め殺そうとしたが、オグデンがRevulsion Jinxを使って阻止した[5]。
モーフィンは父親を防御するために、オグデンに向かって嵐のような勢いで次々にジンクスを放った。オグデンは姿現しで省に帰還し15分も経たないうちに応援を伴って戻ってきた。マールヴォロとモーフィンは抵抗し、幾人かの省職員に怪我を負わせたが、ついに取り抑えられ、逮捕された。父子はウィゼンガモットに連行された。マールヴォロは執行部隊への攻撃、逮捕への抵抗、司法妨害、魔女への暴行未遂、法廷を侮辱した容疑で起訴された。
マールヴォロにはすべてにおいて有罪の判決が下され、1925年の半ばから終わりまでの6ヶ月間アズカバンに投獄されていた[6]。
死[]
マールヴォロとモーフィンが無事に投獄されたおかげで、メローピーは生まれてはじめて1人で自由に過ごせるようになった。長年父と兄に苦しめられ抑圧されていたメーロピーの魔法は開花し、彼女は絶望的な暮らしから脱出した。メローピーはトム・リドル・シニアに愛の妙薬を飲ませ、彼と結婚した。
マールヴォロが再び自由となり、リトル・ハングルトンに戻るとき、彼が期待していたのは、火の焚かれた暖炉、彼を抱きしめるメローピー、彼の帰りを予期して用意されていた温かい食事だった。しかし彼が家に帰るとそこには大量の埃と、結婚を報告するメローピーの手紙だけが残されていた。純血を保つとまではいかずとも、同類がメローピーに求愛してくるかもしれないという控えめな期待をマールヴォロは抱いていたので、彼は自分の義理の息子が誰かを知ってとてもショックを受けた。 その後、マールヴォロがメローピーの名前を口にしたり、存在を認めることはなかった。 マールヴォロのすみやかな死には、おそらく娘が逃げ出したショックも影響していた。他の要因には、アズカバンでの生活が彼を非常に衰弱させたこと、そしておそらく自分自身で食事を用意する方法を学んでいなかったことが挙げられる。マールヴォロの正確な死亡日は不明であるが、モーフィンは、彼自身が刑務所から釈放され、リトルハングルトンに戻ったときに、コテージ内で父親の死体を発見したと話している[5]。マールヴォロの死後、マールヴォロの死体に何が起こったのかは不明であるが、モーフィン・ゴーントがマグルの葬儀屋に依頼し、父親の遺体をリトル・ハングルトン墓地に埋めた可能性が高い。
外見[]
マールヴォロは息子より背が低く、奇妙な体つきをしていた。背の割に肩が非常に広く、腕が長かった。これと明茶色の瞳、藪のような短髪、しわだらけの顔も相まって、彼は先祖同様力強い老いた猿のように見えた。
舞台裏[]
- ホグワーツ・レガシーには、スリザリンの5年生オミニス・ゴーントが登場する。時系列的に、「スポーツとして」マグルに磔の呪文を行使するよう強要したオミニスの兄たちの中にはマールヴォロが含まれる可能性がある。
登場作品[]
- ハリー・ポッターと秘密の部屋 (初言及)
- ハリー・ポッターと秘密の部屋 (映画) (言及のみ)
- ハリー・ポッターと謎のプリンス (初登場)(回想に登場)
- ハリー・ポッターと謎のプリンス (映画) (言及のみ)
- ハリー・ポッターと死の秘宝 (言及のみ)
脚注・出典[]
- ↑ 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第10章 ゴーントの家 - マールヴォロとモーフィンが逮捕された1925年の夏時点で娘メローピーは約18歳、息子モーフィンはすくなくともそれ以上だった。マールヴォロは娘が生まれたとき17歳以上だったに違いない。また、ハリーは彼を“年老いた”“しわだらけの顔”という語で描写しているので彼は夏時点で35歳以上だったろう。
- ↑ 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第10章 ゴーントの家 - 1925年夏のオグデンの訪問後下されたアズカバンでの6ヶ月の懲役刑を終えたマーヴォロ・ガントは、誰もいない家に戻ってきた。メローピーが息子の誕生まで1年間は結婚状態を保っていたということは、1925年半ばから後半に駆け落ちしたはずなので、マールヴォロはその後の1925年後半から1926年半ばの間に家に戻ったのだろう。父と違い3年の刑を受けたモーフィンが1928年半ばから後半に帰宅すると、マールヴォロはすでに死んでいた。
- ↑ 3.0 3.1 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第10章 ゴーントの家 - "“Don’t you go talking to us as if we’re dirt on your shoes! Generations of purebloods, wizards all — more than you can say, I don’t doubt!”"
- ↑ 4.0 4.1 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第10章 ゴーントの家 - "This man was shorter than the first, and oddly proportioned; his shoulders were very broad and his arms overlong, which, with his bright brown eyes, short scrubby hair, and wrinkled face, gave him the look of a powerful, aged monkey."
- ↑ 5.0 5.1 5.2 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第10章 ゴーントの家
- ↑ 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』第10章 ゴーントの家 - While her brother and father are incarcerated, Merope Gaunt married Tom Riddle and gave birth to their son ("But not until a year after they were married.") on 31 December 1926. As Marvolo returns to an empty house after six months in Azkaban, the earliest date of sentencing is around June 1925 and the latest is around December 1926.