3C教室は、ホグワーツ魔法魔術学校の闇の魔術に対する防衛術の授業で使用される教室である。ホグワーツ城4階に位置する。
解説[]
教室には鉄のシャンデリアが吊り下げられており、プロジェクターが設置されている。等間隔で大きな窓があり、教壇には黒板が置いてあり、生徒が座る椅子とテーブルが並んでいる。担当教授によって外観が変わることがあった。
歴史[]
1908年以前~1927年[]
若きアルバス・ダンブルドアは闇の魔術に対する防衛術の教授としてこの教授を使用した。ホグワーツ校長となるまで彼は闇の生物の扱い方や防衛の術を生徒に教えた。
1988~1989年度[]
ホグワーツで広まりつつあった呪われた部屋の呪いに対処すべく、アルバス・ダンブルドアは呪い破りとして世界的に有名なパトリシア・レークピックをホグワーツに招待した。その後、ダンブルドアから闇の魔術に対する防衛術教授を打診された際はレークピックは快く引き受けた。
レークピックはこの教室で授業をした。彼女は呪い破りとしてのキャリアを彷彿とさせる品物や闇の道具を教室に置いた。ほとんどはエジプト由来の品物だった。呪い破りとして経験豊富な彼女は有能な教授であり、防衛呪文や闇の生物の扱い方、果てや闇の魔術事態を教えた。
1989~90・91年度[]
レークピックの後任の教授は著しく無能であり、役に立つ授業を行わなかった。ウィリアム・ウィーズリーは授業が終わった放課後にこの部屋を借りて生徒たちに実践的な授業をする許可がアルバス・ダンブルドアより与えられた(講師として)。ただし、正式な教授ではないため、ヴォルデモート卿のジンクスには引っ掛からず、1991年まで生徒に授業した。
1991~1992年度[]
賢者の石を保管するために4階廊下が立ち入り禁止になったため、授業は臨時教室で行われた。そのためこの年度では一切使われていない。
1992~1993年度[]
ギルデロイ・ロックハートは教室にところ狭しと自分の肖像画を飾った。彼は最初の授業で科目とは関係のない話を語り始め、「実践」と称して部屋にピクシー妖精を放った。しかし、彼は未熟な魔法使いだったためにピクシーを制御することはできず、挙げ句は自分の杖を奪われてたりする始末だった。この「騒動」はハーマイオニー・グレンジャーな機転を効かせることで何とか沈積化したものの、教室は悲惨な状況となった。
この騒動後ロックハートは一切科目の授業をしなくなり、授業中は自伝を読ませたりその感想を生徒に書かせるなど役に立たない無駄な内容を教えるようになった。
1993~1994年度[]
リーマス・ルーピンは1993~1994年度にかけてこの教室で教鞭を執った。彼は闇の生物についての授業を行い、最初の授業で彼はボガートと戦う術を教えた。彼は狼人間やカッパ、レッドキャップなどの生物を授業で取り扱った。
1994~1995年度[]
この年度ではバーティ・クラウチ・ジュニア (アラスター・ムーディに変装)がこの教室で教鞭を執った。